時が過ぎるのは本当に早い、嫌になるほどに。
そう、このまま人生が終わってしまうのではないかと思えてしまうほどに。
つい最近、桜が散ったと思ったら、桜が咲いている。そして、また散ろうとしている。
そのぐらいの感覚で一年一年が過ぎてゆく。
僕にとって、これは良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか。
(物事を良い事、悪い事の二つだけに分類するのはあまり気が進まないのだが.....。)
言い換えれば、歳をとるということが、良いことなのか、悪いことなのか、ということなんだろうと思うが、それに対して、僕自身、答えを出せずにいる。
というよりは、悪いことばかりが頭に浮かんできてしまうので、それを頭のどこか片隅に追いやってしまうために、今一度考えてみようかと、一年の終わり始まり、桜の季節に、そう思い立った。
10代の頃は早く20代になりたかった。
20代の頃はあのままの時期が永遠に続くのかと思ったほどだ。
30代の頃は30代も捨てたもんじゃないと。
40代の今は年老いてゆく不安ばかりだ。
多分、それぞれの頃に良いことも、悪いこともあるのだろう。
でも、今は悪いことばかりのような気がする。
例えば、身体的おとろえ。
今まで、ジョギングしてももっと長く走れていたのが、だんだん走れなくなっきている。また、徹夜しても全く問題なかったのが、今では徹夜すること自体、できなくなってきている。そして、鏡に写った自分を見たときの圧倒的な絶望感。白髪は日に日に増える、髪の毛の生え際は上がる、肌のはりは失われると、以前との違いをあげればキリがない始末。
このまま人生が終わってゆくのだろうなと、これからの人生、自暴自棄になってもいいなと思えてしまうほどでもある。
かといって、自暴自棄になるほどの勇気を持ち合わせているわけでもないので、結局は今と同じような人生を何と無く生きてゆくのだろうなと納得してしまう始末である。
もし、自暴自棄になって、今までしてこなかったこと、あるいは、今までの自分では考えもつかなかったようなことをしたら、これからの人生、少しは素晴らしきものになるのかなとも思ったりもするのだけれど、どうなんだろう。
さてさて、良い事はあるのだろうか。
答えはもちろんイエスである。
それは人生を生きてきた上で、色々な人と関わりが持てたことだろう。
その関わりが今でも続いている人たちもいれば、一期一会だった人たちもいる。
しかしながら、その両方が僕が生きてきた証である事はもう疑いのない余地であることは自分自身が一番分かっている。
その関わり、いや、交わりと読んだ方が良いのだろうか、交わった人との小話をまとめたら、何冊もの小説が書けるのではないかと思えるほどである。
人生において、何が大切なのだろうか、という問いに対して、僕の答えは、どれだけ心を動かすことができたのだろうかという事だ。
どれだけ、喜び、怒り、哀しみ、楽しんだかのだと思っている。そして、そこにはいつも人間がいたし、これからもいるのだろう。だから人との関わりはこれからも無理せず、自然体でゆこうと思う。
つまりは色々な人々と関わりが持てた事だろう。それが良い事だ。
そして、その関わりの持てた人たちと、また共に何かできたならと、歳をとっての悪いことよりも良いことばかりになるのだろうなと思う。
いや、良い事だけになるのだろうなと思う。
歳をとっちゃったよじゃなくって、歳を重ねたんだよってね。